全捨離して開運したら人生変わった

全捨離したらどうなるのかを50代、独身、子なし、会社員がゆる~くお伝えしております。

マゼンダエネルギー02こんばんは

つい先日マゼンダエネルギーについてご紹介しました。

その後、職場でこんなイメージをしてみたんです。

フリーアドレス制で毎日違う席になるので、出勤したらすぐウェットティッシュで毎朝デスク周りの掃除から。

そのウェットティッシュがマゼンダ色で愛がたっぷりしみ込んだもの、とイメージしながら拭き拭き。

さらに電話機を拭きながら、回線の向こうのお客様などにマゼンダの花束が届くようなイメージを。

心の中で今日の自分のデスクに「ありがとう、よろしくね」とあいさつ。

そうして仕事が始まり集中するとついマゼンダエネルギーを忘れちゃう

時々思い出しては電話やパソコンの回線を通じ、世界中にマゼンダエネルギーが届くようなイメージを描く。

そんな感じで意識してマゼンダエネルギーを送り始め、3日たたずにあらビックリ

上司から、「れーこさん、なんかすげえじゃん」と。

良くも悪くもお客様からご意見をいただくことがあるのですが、結果はともかく何かしらの反響があったほうが今後の改善になるのでありがたいです。

でもなかなか反響をいただけないのが当たり前。

回答するのだって時間がかかるし面倒ですものね。

なのになんかその数がやたらフィーバーしていて、さらに良いものばかり。

なにか私のやり方が大きく変わったわけでもないのに、、、、です。

思い当たるのはマゼンダエネルギーを送ったことくらい。

心の中で思わずその結果データを見ながら私も「すげぇーーーー」と叫んだほど

そして実感しました。

やり方をどうにかするよりマゼンダエネルギーを送ったほうが早いな、と。

もちろん業務のやり方を日々改善して磨き上げれば効果はあるはずですが、マゼンダエネルギーを送れば更に加速するでしょう。


仕事をしていると意見や考えの合う相手ばかりではないので、時としてそれがストレスになります。

もう本当に放り投げてうちに帰りたい、と思うこともしばしば。

でもそんなにっちもさっちも行かないそんな時こそマゼンダエネルギーの出番

この間も心はもうどうにでもなれ状態で、とにかく相手にマゼンダエネルギーを送ってみました。

するとどうでしょう。

事態はあっという間に収束し、当の本人の私はもちろん、周りも「えっ?それで終わり?」というくらいあっさりと。

関係各所が絡み合い、私の部署では手も足も出ない状況でしたのに、お相手はあっさりと引いてくれたのがしばし信じられませんでした。

ここ最近のそんな経験から、


「困る前もマゼンダエネルギー

困ったときこそマゼンダエネルギー

いつもマゼンダエネルギーでラクしてすいすい」



こんな感じで日々を更に軽くしてこうと思いました。




夜のツタンカーメンこんにちは

毎週楽しみにしている夜のツタンカーメン第160回1.19放送分がPodcastにUPされました。

今回は天井画絵師の「斎灯サトル」画伯がゲスト。

第72回(2016.5.13放送分)にもゲストで登場され、その時の話も面白かったですよ。

今回も64畳分の天井画を描くダイナミックなお話と共に、死ぬための遺書ではなく生きるための遺書を書いていると語っておられました。

以前は毎回作品の前に書かれたそうですが、いまは年に1回とのこと。

なぜ遺書を書いているのかといえば、「死に方がデザインされたら自然と生き方がデザインされる」から。

確かに

毎日生きているのが当たり前のように過ごしているけど、いつ終わりが来るかなんてわかりません。

だからといって、私はその終わりを想定して生きているわけでもない。

いつか終わると頭でわかっていても、実際にその場が来たらどうなるんだろう。

また、終わり方が安らかなのか壮絶なのか、事前準備ができるのかそうでないのか、その時がこないとわからないんですよね。

画伯によれば、遺書を書いたときはただありがとうと、恩返しの気持ちになれ、自分をよく見せようという欲がなくなりただ感謝しかない、そうです。

だから死ぬ準備のための遺書ではなく、今を大事に生きるためってことなんですね。


人生悩んでいる人は、どういう死に方をするかデザイン出来たら生き方の迷いがなくなりますよ、とも言っておられました。

遺書を実際に書いた時、もし恨みつらみしか書けないなら、その想いだけで今を生きている自分と向き合うことになる。

そこで生き方を考えるようになるはず、ということなんでしょう。


まだ遺書を書いたことはないものの、話を聞きながら私も人生が今日終わりだとしても感謝しかないなぁと思いました。

やってみたいこと、行ってみたいとこはまだまだあれど、平穏無事に過ごせる日々が多いことにただただ感謝です。

良い機会なんで仰々しく構えず、私も遺書を書いてみようっと。





今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます

いつもあなたに笑顔と幸せがたくさん訪れますように

クリックで応援いただけると嬉しいです

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ミニマリストへ



こんばんは

細かいモノの見直し中の本年でありますが、昨年整理した文具について見返してみたら「失敗」だったということに気づきました。

もともと文具や便せんなど、書くことに関するグッズが幼少期から好き。

性分なんでしょうね。

「なかよし」や「りぼん」の全員プレゼントにお小遣いをかき集めて応募し、好きな漫画のレターセットなどを集めてました。

それをお中元とかでいただく海苔セットの箱を母からもらい、大きな箱いっぱいに持ってたな。

そのコレクションを今度は友達と交換ごっこをし、さらに持ってなかった絵柄のを集めまくるという収集癖が生まれながらにしてあるようです。

そんな性分がゆえ、大人になっても文具類を人並み以上に持ってました。

ミニマリストの文具整理01どのくらいかというと、IKEAで買った写真のスチール棚(今はサヨウナラ済)にいっぱい。

















ミニマリストの文具整理02それを頑張って減らし、写真の収納ケース(中身も一緒に今回新たにサヨウナラ)になんとか納めました。

棚いっぱいに入っていた量を考えればかなり減ったけれど、あれから何度ペンを使う頻度があったか思い出せば、月に2,3回がせいぜいです。

もう手書きで字を書くこと自体、書類に署名する程度しかなくなりました。

デジタル製品が大好きですし、操作も苦にならず、もうなんでもかんでも写メするか入力してます。

そうやって文具の出番が少なくなった状況に変わったのだから、それに合わせてもっと減らせるんですよね。

ミニマリストの文具整理03カッターやのり、電卓等のまだ処分に迷うグッズと最低限のペンをまとめ、MUJIのクリアケースに移しました。

まだ減らせるかもしれません。

けど、幼少期からの自分の収集癖を考えるとよくここまで減らせたなと少し感慨深いわ。

全捨離を始めてからこうして、無性に集めたくなっていたモノのいくつかに気づかされ、それが過去の思い出とつながりました。

「あぁ、自分はこんなこだわりがあったんだな」と気づき、モノを手放すことで過去とも決別をしていく感覚があります。


つい先日も私の全捨離ぶりに感化された友人が、服を半分に減らしたらなんかすごく良いことがあったと嬉しそうに報告をくれました。

「言ってた通りだね、空いたスペースにちゃんと何か入ってくるって」、と。

新たに入ってくるモノは出会いなのか情報なのかお金なのか、その時々で宇宙は粋な計らいをしてくれるようです。

モノを減らすと同時に手放すのは、過去の色んな観念や信念、こだわりや思い込みなど。

当時それがなければ生きづらかったかもしれないけど、今はもう成長にしたから手放しても怖くなくなった過去の考え方。

そうやって自らを成長させられたら、宇宙はちゃんとご褒美を用意してくれるようです。

だから失敗だったなと気づいた今回も、気づけて良かったと思います。

気づける程度でも多少は成長できたかも

ご褒美を期待せず、失敗しならがらもミニマム道は前進あるのみでございます。




↑このページのトップヘ