

先日、大好きな並木さんの動画で長年の疑問が解け、ものすごく腑に落ちました。
幼少の頃から私は孤独感に無縁。
はたから見たら孤独に見えるかもですが、当の本人は人生を一人で楽しんでいる。
一人で寂しくない?
孤独死したくないでしょ?
と聞かれても、誰かと一緒にいて分かり合えないほうがよっぽど孤独よねぇ。
いつ死んでもいいし、例え家族と一緒に住んでいても、死ぬ瞬間は一人の可能性もあるでしょ。
と思うのです。
しばらく誰とも話さない時間が長くなると、誰かと会話がしたいとは感じます。
それも仕事で電話取りまくれば解消するしね。
孤独感より物心ついた時から、ここではないところに還りたいという欲求はいまだに大きいです。
学校で色んなことを習うにつけ、子供心に人間って野蛮で狂ってるよなと感じることばかりで早く脱地球がしたかった。
なので、20代の頃は結婚に執念を燃やす同僚の姿に理解できないことばかり。
見下してるとかじゃないんですよ。
すごく好きな相手と一緒にいたいから結婚したいという人ばかりではなく、目的が結婚になってる人のことが理解できなかったのです。
周りから結婚できない人、寂しい人と思われたくないみたいなことを言ってましたが、そういうもんなんでしょうかね。
他人にどう思われようと、私は自分のペースで好きなようにやりたいことをやって生きたい。
それができるなら楽しいから寂しいと感じる暇がない。
まだ若いからそんなこと言ってられるんだよと言われたこともあります。
が、もう50代。
シニアに突入しつつあるけど、いまだどうしようもない孤独にさいなまされるということはないのよねぇ。
ゆえに孤独感なるものがよくわかりません。
それを並木さんはこう表現しておられます。
孤独とは、源からの分離感
なるほどぉ。
宇宙と繋がっている感は常にあります。
見えない存在に助けられ、サポートしてもらってる感覚もあります。
守護霊さんなのかご先祖様なのか天使なのか、誰かはわかりませんが、私の成長をサポートしてくれる存在がいることを感じている。
これが孤独を感じない理由だったのか。
と、合点がいった。
また、公害の如く不機嫌を撒き散らし続けた父がなぜそうだったのかも、並木さんの説明で腑に落ちた。
怒り=蓋
自分の中に目を向けたくない感情を持っている人はそこに怒りで蓋をする
父は昭和のモラハラ親父像のモデルではないか思えるほど、偉そうな態度、不機嫌、どす黒い顔つきでした。
中身はサラリーマンの競争社会をうまく渡り歩けず、自信を失った人なんだと思う。
頭は良い人でしたが、スキルがあっても社会性に欠け人に嫌われたら上から引き上げてもらえません。
実力相応に認められない悔しさを抱えているのだろうと私は見てました。
並木さんの言う通り、その感情に向き合えず怒りで蓋をし続けちゃったんでしょうね。
蓋をしたままあの世へ旅立ってしまいましたが、地球を離れ少しは心が軽くなってるのだろうか・・・
同じ轍を踏まないよう、私は日々ご機嫌に過ごしてます。
そもそも地球の物差しである社会的評価とか、他人がどう思うかなんてどうでもいいしね。
地球にいる間は統合を続け、並木さんの見えている軽い世界を私ももっと見たい。
なんでこんなとこに生まれちゃったんだろうと後悔しながら宇宙に還るより、地球での良い思い出を持ち帰りたい。
と、切に思います。
5分程度のこの動画、すごくいいからぜひ見てくださいね。
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